次元という言葉を借りて思考と心を整理する 5 3次元空間の住人
2022年 2月12日(土)北町公民館2階和室(わら舞)
地に足を着けなおす 15:10〜
医療従事者クラス・エーテル塾 11:00〜
舞扇・仙骨尺をお忘れなく。
*********************************************************************
3次元空間の住人
3次元空間は、
2次元空間に直行する方向に2次元の平面を移動させていく軌跡が
3次元空間になりますね。
2次元空間である平面の物語が無数に積み重なり、
自分の繰り広げていた平面世界だけではない領域に視座が移ります。
上図を見るとZ軸があることによって2次元空間が立体的に見えてきます。
ですから、2次元空間の1枚1枚の世界が多層にわたって存在していることを認識し、
自由にその選択をすることができます。
もちろん時には1次元空間の住人になって、一心に何かに向かうことも素敵なこと。
2次元空間の住人になって自分の世界の中で時間を過ごすのも楽しいです。
しかし、そのままの状態では、3次元空間で立ち行かなくなるのです。
好きな人のことを一生見つめて生きていきたくても、
自分の作り上げた世界に浸って誰にも邪魔されずに生きていきたくても、
様々な障害が次々と訪れ、3次元空間では難しい。
それを可能にする為には、
物凄くお金や権力を使って自分の思い通りの世界をグイグイと 3次元空間に作り出す(聞きますね)か、
バーチャルの世界で生きていく(聞きますね)か、
現代の問題が浮かび上がってきますね。
次元を一つ上がるということは、
物事をより広い位地から認識し、
こだわりが無くなるという事でもあるように感じています。
視点が視野になり、
視野が視座になる。
さらに高い次元に上がれば、
私たちは、「私」という枠組みすらいつの間にか手放して、
より全体認識に向かうでしょう。
実際に、
エネルギーワークの練習をしてみると、
殆どの人の認識が2次元的なものです。
解剖図のように目の前にある人体を捉え、
ペッタリとした平面的な捉え方をする人が殆どです。
人間の視覚は2次元のスクリーンである網膜に3次元空間を投影しているせいなのでしょうか。
脳の使い方と関係しているのでしょうか。
身体においても、
実際に目で見て手を触れられる身体部分の認識はしやすく、
その部分の変化に多くの人が注目をしますが、
身体内部の感覚は多くの人が取りこぼしてしまいます。
小用先生のお稽古は、
その身体内部に意識を向け、
さらにそこを如何に機能させていくかを教えてくださるので、
ここでも表面的ではない感覚を培うことができます。
先日の医療従事者クラス・エーテル塾で
身体内部にエーテルの手を伸ばす実習をしましたが、
ここに存在し、自分の身体も3次元にあるに関わらず、
身体内部の感覚に苦労する人が多く見られました。
エネルギーワークで注意が必要なのは、
2次元世界の住人が自分の世界内のアストラルの領域で「出来た」と思うことです。
実際には、明確な変化は訪れません。
恐らくマッサージなど実際に身体を扱う人でも、
2次元認識による身体
3次元認識による身体
さらにその上の界層認識による身体
によって効果は全く違ってきます。
特に、自分の世界にこだわりがあり、自信を持っている場合は要注意です。
私たち人間は恐らくはまだまだ幼い次元の認識しかできておらず、
全体像は全く見えていない状態だと思います。
成長を続けるには、疑問を持ち仮説をたて実証を続けること。
私たちにはまだまだやるべきことがたくさん残されています。
まずは、自分の思考・感情・身体の全てを、
3次元空間の認識に移していくことが大切かと思われます。
自分の想念の世界「アストラル」を明確に認識することです。
本当に3次元空間の住人になった時、
2次元の住人が1次元の住人を
「なぜ、わからないのだろう?」
と疑問に思うのと同様、
3次元の住人が2次元の住人を見ると、
「なぜ、わからないのだろう?」
と疑問に思うことでしょう。
特に、昨今ではスマホやPCに意識を向ける時間が長くなり、
そこで繰り広げられる世界を3次元と認識しがちになりますが
画面上は2次元です。
3次元空間のエネルギーが伴いません。
いくらVRを使ったとしてもそれは2次元で、3次元の幻想を見ているだけです。
せっかく3次元空間の住人登録を終えているのに、
もったいないことです。
さて、この後には物質を超えてエネルギーの次元の話に移ります。
その前に、先ずはここまでの次元の思考と心の整理をお願いいたします。
そして、次への境目に立ったときに、
この文章が役に立つでしょう。
「われわれはあらゆるものを歴史的次元の観点からのみ眺めるのが常であるが、
それでも本源的次元に触れることは可能なのだ。
だから我々が学ぶべきことは波の様になること。
つまり歴史的次元においては波としての人生を生きながら、
自分が同時に水でもあり水の人生も生きているということを認識すること、だ。
それこそが修行の核心なのだ。
もし来ることも去ることもない、有でもなく無でもない、生もなく死もない、
その様な自分の本性、本来のあり方を知るなら、恐れがなくなり、
他でもないまさに今ここで本源的次元、つまり涅槃に安住することができる。
涅槃に達するために死ぬ必要などない。
自分の本来のあり方に安住しているとき、我々はもうすでに涅槃に安住している。
われわれは確かに歴史的次元がある。
しかし、同時に、仏がそうであるように、本源的次元があるのだ。」
(先日彼方に旅立ったテイクナットハンの法華経の省察より)
2022年の年間スケジュール
team0x's blog より転載