湖の水にだけうららかな色があった

 

2023月 2月11日(土)中央公民館2階講習室

地に足を着けなおす 15:10〜 

医療従事者クラス・エーテル塾 11:00〜

舞扇・仙骨尺などグッズをお忘れなく。

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「籠坂峠から向こうは、どこもかしこも夥しく雪が残り、

山中湖畔の疎林の地面は縮羅のような凍雪におおわれていた。

松は黄ばみ、湖の水にだけうららかな色があった」

『暁の寺 三島由紀夫』

 

 

 

小さな頃、父が私の名前の漢字を

「三島由紀夫の由紀です」

と説明した時から、

私は三島由紀夫の生み出すエネルギーの世界と繋がったのかもしれない。

父の書斎にある三島由紀夫の本を片っ端から読み漁った。

その言葉の背景に存在する質感は、私の中の柔らかい部分に入り込み、

硬くなった部分を融解し、

純粋なアストラルのエネルギーを教えてくれた。

 

ある朝、いつもの様に早朝散歩の途中、梅の枝の間から富士山を眺めていると、

上からの指令がきた。

冬の間は立ち入らない山中湖から富士山の前に立つことになった。

 

凍てつく寒さの中、正面で待っていると、

富士山はそのアストラルの姿を私に見せてくれることになる。

人間臭のついていないアストラルの清らかさは、

たとえようもなく美しく、

私の中のアストラルの流れの滞りを根幹から消し去ってしまう。

そして、「私」が「アストラル」と片付け、押さえつけていた自分の中のそのエネルギーが定位置についた。

パワフルであるだけに、非常に心地が悪く、

しっくりとは行っていない。

身体を動かしたくなり、いつもの森の散歩道に向かった。

そこで思い出したのが、

先の暁の寺の中の一文。

 

人気(ひとけ)の無いこの季節、まさしくその光景が目の前に広がっていた。

 

 

戻ってすぐに私はもう何回読み返したかわからない4部作のうちの一冊を手に取った。

 

「沖の霞が遠い船の姿を幽玄に見せる。それでも沖はきのふよりも澄み、

伊豆半島の山々の稜線も辿られる。五月の海はなめらかである。

日は強く、雲はかすか、空は青い。〜〜〜

五月の海のふくらみは、しかしたえずいらいらと光の點描を移してをり、

繊細な突起に満たされている。」

『天人五衰 三島由紀夫』

 

この言葉の質感。

この趣。

こうした中にアストラルの清らかさが顔を見せる。

 

ピカソもそうだけれど、

「それら」は、見えるものの背後に存在するのだ。

 

 

 

 

クラススケジュール

http://blueprintjapan.com/archives/info/057

 

 

 

 

 

 

 

 

 

team0x's blogより転載