ブループリントファクトリー主催「エネルギー的に見た『死への移行』」ご報告
日本を周るのが忙しすぎて、
すっかりこちらでの投稿を忘れてしまっていました。
11月3日、ブループリントファクトリー主催
「エネルギー的に見た『死への移行』」の参加型お話会が開催されました。
上からは「死のレイヤー」について話すように言われていたのですが、
事前質問を見てみると、
一般の方の関心は、
存在の三領域の①の領域(身体が自分だと思っている)にあり、
というよりも①の領域が全てという共通認識があるようなので、
一部話題をシフトして、実際に死に立ち会った時の話を中心にしました。
死への移行で殆どはアストラル領域に向かいますが、
•ご自分が死んだことに気づかない場合
•生前の何かに執着または心残りがある
こうした場合、すんなりと次の領域に行かずに、
この辺りで(物質領域付近)迷われてしまっています。
その場合には、それに気づかせて差し上げることも必要になるでしょう。
しかし、心残りがあってアストラル存在になられる場合のエネルギーは、
独特のエネルギーの重さがあるので、
できれば専門職の方にお任せしたい感じです。
災害地などでどうしようもない場合や、
千年単位でこちらで迷われている場合に手をお貸した話もさせていただきました。
このように心残りや恨みは何千年もこの辺りで迷われてしまうこともあるので、
ご自分のためにも「ネチネチズム」を見極め、
サッパリと死の門をくぐりたいものです。
「自分を落として」死の門をくぐることはとても大切に思います。
生前の肩書や容姿など外に向けた自分づくりや知識概念にとどまっている場合、
「自分を落とす」
ことの障害になります。
できることならば、生前に自分の傾向性に気づいておくのが賢明です。
これも実際のクライアントの方の例を挙げてお話ししました。
・社会的に認められるという生への執着がある方
・破天荒な人生を送り、最後に自分を落とせた方
素直に人生を生きていること
これが死の門をくぐる際にとても大切なのです。
他者の目を気にすることによって、
自分の表層意識を覆うベニヤ板の下にどの位の行き場のない感情が眠っているのか、
そして、その下に眠っている事象を恨んでいるのか、
それが人生を歩む上でも足枷になっていることに気づかないという残念さ。
それは死の門をくぐる時にももちろん影響があるのです。
若いうちはいいかもしれないけれど、
人生も後半に入ったら、
ベニヤ板を剥がして風通しよく生きたいものです。
そして、送る側も送られる側もサッパリと執着なく、
爽やかにお見送りしたいものです。
クラススケジュール
http://blueprintjapan.com/archives/info/057
team0x's blogより転載