2021年 3月13日(土)北町公民館2階和室(わら舞)
地に足を着けなおす 15:10〜
医療従事者クラス・エーテル塾 11:00〜
舞扇をお忘れなく。
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土日クラスで話した事が大切なので、残しておこうと思う。
全てのエネルギーは顕現しているのに、
感知できないのはなぜだろう?
この話は以前にもしたことがあるのだが、
私の父は、常にアンテナを張るように私を促し、
麻痺させることを許さなかった。
駅から家までの一本道で不自然なものはないか?
(答 喫茶店の横に書かれた看板文字が縦に設置されていたけれど、
私はもっと奇抜なものを見つけようと目に入らなかった)
電車から見える景色で気づくことは?
(富士山の見え方など)
ボーナスを家中に隠したこともある。
(なんとトイレのティッシュケースから札束が見つかった!
見つけたのは祖母)
天窓から見える月の満ち欠けの美しさを教えられ一緒にため息をついた。
などなど、
ちょっとした季節の移り変わりや空気感を
「感じる」事を忘れないように日々を過ごさせた。
母は、私と妹が小さな頃、
毎日、陽が傾いて部屋がオレンジ色に染まる時間になると、
私と妹が主人公になる物語を聞かせてくれた。
私と妹は小さくなって蝶に乗ったり、
花の中に隠れたり、
翼をつけて空を飛んだりした。
教科書の勉強よりも、
父は常に「ここにあること」
母は「常識にとらわれない空想の世界」
を教えてくれた。
思春期あたりから、
私は家族よりも仲間と過ごす時間が多くなり、
次第に「ここ」も「空想」も忘れ、
効率性を最も尊ぶ生活を歩むようになった。
やがて29歳あたりから効率性を発揮しようにも、
頭痛があまりに酷く、
已む無く効率性の悪そうなエネルギーの世界に足を踏み入れてしまった。
そして、エネルギーを感知する時に必要なのが、
「ここにあること」
であり、
「常識にとらわれない観察眼」
であることが分かった。
期せずしてそのような教育を受けてきていた。
エネルギー感知には、
あれこれとした知識・思考・パターン化した日常
「感知しなければ」という感情、
はたまたスマホから目が離せない状態では難しい。
また、
「きっと、こうなるはず」
という予想は感知の邪魔になる。
それは限界を設けることだから。
まずは、乗り物に乗ったとき、
車外の景色を観察することから始めてみてはどうだろう。
スマホに手をやりたくてウズウズしてはこないだろうか?
窓の外に目をやりながら、次の食事のことを考えてはいないだろうか?
苦手な人や自分の不幸な出来事を反芻してはいないだろうか?
素敵な王子様のことを夢みてはいないだろうか?
常識にとらわれない自由な境地でその瞬間瞬間を感じていれば、
風も植物も隣の人も
全てが先生になる。
エネルギー感知で注意が必要なのはその動機かもしれない。
褒めてもらったり、自己主張や、
認めてもらうためであれば、
それは、思い込みが形になってしまうアストラルの世界への片道切符だから。