エーテル体ダブルで握手する(できるかどうか)

 

2022年 6月11日(土)中央公民館2階講習室(わら舞)

地に足を着けなおす 15:10〜

医療従事者クラス・エーテル塾 11:00〜

舞扇・仙骨尺をお忘れなく。

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エーテル体入門クラスの準備の段階で出された質問回答を確認する為に、

ポーラ美術館へ。

 

「藤田嗣治画伯の猫の周りにあるものはエーテル体ダブルかどうか」

という質問でしたが、

実物で確認したかったのです。

 

で、私の答えは、

「エーテル体ダブルです」

 

美術館の売店で購入した藤田画伯の随筆集の中の、

「線の妙味」

の中にもそれを裏付ける節があります。

 

『僕の希望は絵を描く前に、物体と自分と一人になってー直感で描いていく。つまり訂正したり、思考したりした線ではなく、直感から生まれた線の方が的確にして無限に深い。そして観者の心に訴えるところが多いと思う。或いはあとで全体的に見た場合、誤りが有るかも知れぬ。けれども、感じを正直に捉え、健全なる線が引ける。健全な線の方が病的な線よりも、常に本質的に優れていると私は言わない。ただその方が正しいとだけは言える。そうして、その方がひねって描くよりも一層高い気持ちが現され、また実際に現れもする』

 

この「物体と自分と一人になって」の件は、

エネルギー鍛錬しないと出てこない表現。

これはイメージではないのです。

エネルギー体での一人。

 

『中には線とは物体の輪郭を書けば良いと思っている画家がある。線とは、単に外廓を言うのではなく、物体の核心から探究されるべきものである。美術家は物体を深く凝視し、的確の線を捉えなければならない。そのことが分かるようになるには、美の真髄を極めるだけの鍛錬を必要とする。

而して、線でできる建築ー線が起こす運動ー等不思議な魅力をもって、画面の構成を限りなく変化させ、活躍させ、直線や曲線が入り乱れて、画面の上で美しく跳躍する。線で物体を描く時、物を殊更に変形して描いたり、アンスピレーションとか、デフォルメーションとか、ペルスペクチーブとか、それから線を大きく加えたり、少なく減らしたり、自在に加減乗除が出来る。かくて古今独歩な線は生まれる。その独特な線が出来て初めて他人の意表に出たり、他人の追随を許さないような個性的の強い美は生まれるのである』

 

「線とは、単に外廓を言うのではなく、物体の核心から探究されるべきものである」

これも前述の「一人」になるエネルギー状態があっての感触。

内部まで入り込む。

まさに、です。

 

 

楽しくなって、今回、展示してある全ての作品をエーテル体ダブルの観点から鑑賞してみると、

ラインをどう捉えているか、

この世をどう捉えているかが伝わり、

実に興味深い鑑賞になると同時に、

作品を生み出す苦しみや迷い、

を感じずにはいられませんでした。

 

藤田画伯のお部屋は、

作品の内奥から現れるエーテル体ダブルラインとそれを表現なさる藤田画伯のエーテル体ダブルの線によって、

そのエネルギーで構成されているかのようにすら感じる佇まい。

 

エーテル体ダブルでの表現は、

見る側のエーテル体ダブルの手とも握手できるのです。

だから、すぐに分かります。

(比喩です)

 

しかし、エネルギーワーカーよりも、こうして各方面で秀でた才能をお持ちの方の方が、的確にエーテル体ダブルをご自分のものとしていらっしゃる。

何となくエネルギーは、所詮、何となく。

的確なエネルギーを自分のものとしなければ。

 

今回、

この新緑の季節の森の散歩道での

スーザン・フィリップスの音のアートが素晴らしかったです。

鳥の囀りや小川のせせらぎ、森の気配。

全てと絡み合う音。

邪魔しない音。

間。

それぞれが「自分」を主張しないハーモニー。

心地よいです。

 

おかげで贅沢な時間を味わうことができました。

本当にいつも良い質問をされます。

それだけ、取り組む時間をとっているという事。

頭が下がります。

 

 

 

 

 

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team0x's blog より転載