杼による神経へのアプローチ 1
それは、富士山の上に笠雲がかかれば天気が崩れたり、
朝日が昇る前に小鳥たちが囀り始めるのと同じように、
「自然」
の流れなのだ。
YEメソッドもエーテル体の鍛錬もシャバアーサナ三界層も、
この流れの中から生まれ、
この流れに導くためのツールである。
これにより、流れを取り戻し、
さらに、流れから学んできた。
そうするとまた新しい世界が開けてくる。
「私」を「流れ」に変容させる、いわば循環構造なのだ。
エネルギーの流れを遮っているのは、自然の流れに逆らう
「私」の在り方なのだと認めざるを得なくなる。
この、エネルギーの「流れ」こそが、師の導きである。
如何なる取り繕いも許されない。
時代によって変わる倫理もこの流れを変えることはできない。
人は、つい自分たちの力で変えていると勘違いしてしまう。
先に進んでいるようでいて、スンナリとは進めていない。
進めないのは、実は自分自身の在り方なのだ。
障害こそが流れを取り戻しなさいという合図かもしれない。
自然の流れこそが神の鼓動である。
日本においての八百万の神も当初はこの「流れ」だったに違いない。
しかし、人がそれを人間の似姿として顕すことによって、
流れを止めてしまった。
この流れを具象化すれば「流れ」は「個」として認識され、流れは止まる。
この地球に人類が生まれる以前から、
神の息吹は自然の流れの中に存在していた。
そして、自分がその流れの一部であることに気づきさえすれば
認識する世界は「私」の見ていた世界とは違ってくる。
いかに人間がその流れに逆らい生きているか、
そのエネルギーの流れから逸れていることこそが
あらゆる問題の根源である。
人間がどんなに努力しようとも画策しようとも、
この流れには逆らえない。
それは身体から発するものとは違う。
個を超えた明確な外と繋がるラインである。
明確なラインは「個」が生まれる前から存在している。
「なぜ、厳密にエーテル体の感知が必要なのか」
それは、この流れに気づくことだからなのだ。
クラススケジュール
http://blueprintjapan.com/archives/info/057
team0x's blog より転載