アーユルヴェーダ治療14日間
50歳になった時、
50年間共に歩んでくれている身体に感謝を込めて、
アーユルヴェーダデトックス(断食)をして、身体を労った。
60歳になった今年、再度感謝を込めて、
前から興味があったアーユルヴェーダ治療を受けてみることにした。
実は、チベット行きが諸事情によりキャンセルになったので、
チケットの振替をどこに使おうかとチケット担当デスクさんと行き先を話しながら決まったのだ。
(この時は、上に操られているとは全く気づいていなかった。
「世界ツアーお疲れ様」
と上が配慮してくれた とまで思っていた)
次に、どの施設で治療を受けるかだ。
有名な建築家の作った施設
新しくオシャレな施設
海辺にある
食事が良い
など、選択基準は沢山あるが、
私は『ドクターCTスキャン』と名高いドクターに診てもらいたかったので、
各施設に連絡してみると、
現在は海外に出ているとの事。
お返事をくれた施設の中で、
「彼に劣らない素晴らしいドクターが診ています」
とのお返事くださった施設があり、
その「素晴らしい医師」と、
とんとん拍子にzoom面談をすることになった。
面談で、今の状態をお話しすると、
「その状態に対処できると思う」
とのお返事をいただいたので、
「何日くらい必要ですか?」
とうかがったところ、
「最低2週間」
こうして、スリランカでのアーユルヴェーダ治療が決まった。
今年後半はただでさえスケジュールが密なのに、
母の入院が加わり、
クラスの後、自転車で病院に通い、
母と夕食を取るという生活で、
スリランカには倒れ込むように到着した。
マラソンランナーの境地だ。
チケットの関係で到着は深夜。
眠りについたのは深夜2時半。
翌日は、施設の常駐ドクターの診察を受け、
軽いマッサージとハーブボールを入れてもらった。
終わったことも気づかないくらい深く眠って、
気づいた時にはセラピストの方が心配してわたしを覗き込んでいた!
本当に肉体を洗濯してもらった心地がした。
2日目早朝は、皆が「プロフェッサー」と呼ぶドクターがいらして、
診察が始まった。
(私のために、朝病院に行く前に立ち寄って下さっている)
まず、横になって脈診。
左腕、右腕。
すぐに常駐ドクター(お弟子さんらしい)に、
P「〇〇だね」と。
その後、足の上げ下ろし、触診などを経て、
P「あなたは今カパが過剰なので、このバランスを取る必要があります。
もともとカパ体質です」
との事。
素人ながらネット診断を数回したが、
そこでは何回やってもピッタ。
ゆ「わたしはピッタだと思っていました」
P「生まれた時からカパですよ」
との事。
今のわたしに必要な飲み薬と、ボディオイルと施術、食事、ヨガ、瞑想
などが決められ、
いよいよアーユルヴェーダ治療が始まった。
わたしの担当のセラピストの方は、Mさん。
毎朝、ドクターとの面談の際に、
その日のメニューが決まる。
Mさんの手は本当に素晴らしく、
今までマッサージを受けた人の中でも最高レベル。
一度Mさんがお休みの時に他の人が担当してくれたが、
レベルが違った。
その事をドクターに告げると、
なんとMさんはお休み返上で私だけのためにいらしてくれることになった。
Mさんの施術が始まってから、
朝、身体が軋んで起きる事がなくなった。
ニュルンと起きられる。
3日目。
まず1回目の好転反応がやってきた。
ここから、私はこの施設で一番身体が弱いのだと自覚した。
ヨガもドクターストップ。
ただ一つのアサナをプロフェッサーから教わり、
それだけを朝晩するように言われ、
ただ静かに過ごすように言われる。
それと共に、呼吸法も一つをただ続けるように言われる。
飲み薬も違うものに変えられ、
施術も
「ソフトにするようにドクターに言われています」と。
心拍数が上がらないような措置がなされている。
ハーバルバスなど、
「温水プールですか?」
という微温さ。
「ドクターの指示です」
との事。
そして数日後、
2回目の好転反応で、
さらに、朝晩2回のセッションは、
1回に減らされ、
プログラムも書き換えられた。
しかも、雨が続き、
残された数少ない施術のシロダーラも受ける事ができない。
最後の好転反応は、
「あぁ、もしかして死ぬかも」
と思うほどの痛みで、
周りの人に私がいなくなった後の事を連絡した。
熱が出るのは、
10年近く前にリンポチェからインフルエンザをうつされた時以来のこと。
身体中の骨が砕かれるような痛みで水も飲めない。
食事に行かない私に気づいたレストランの方が、
部屋を訪ねてくれて、見つけてくれた。
そこからの連携が素晴らしく、
ドクターに連絡が入り、
新しい薬とそれを飲む前の特製スープが運び込まれ、
それをきちんと取ったかどうかのチェックが入る。
施設全体で私の状態が共有されているらしく、
誰かが私のことをみていてくれていて、声をかけてくれる。
こんなに全面的に人から面倒を見てもらうことがあっただろうか?
と、薄い意識の中で感謝する時間を過ごした。
今回この施設に来て、
自分についての新発見がたくさんあった。
私はピッタではなくカパだった。
実ははじめその診断を下したプロフェッサーを少々疑っていた。
しかし、施設を訪れていたプロフェッサーの教え子の方が、
「どうしてプロフェッサーの治療を受ける事ができたのですか」
と声をかけてくれて、話しているうちに、
私がカパという診断を少し疑っている旨を伝えると、
「何をいうのです!プロフェッサーは国立病院のアーユルヴェーダ学部長、
いわばスリランカのアーユルヴェーダのトップですよ!
そのかたの脈診を受けられるだけでも凄いことなんです」
と教えられた。
そうは言っても、と、それでも少々疑っていたが、
プロフェッサー面談の際に頭痛があると伝えると、
私の後ろに回って、ささっとマルマ治療をしてくださった。
瞬時に頭痛が消えた。
瞬時に頭痛が消えたことはこの人生で一度もないので、
驚いていると、
お弟子さんのドクターが
「神の手なのよ」
と誇らしげに教えて下さった。
参りました…
流石に疑り深い私も完敗です。
名実ともに素晴らしい方でした。
実は、疑い深い私は、
もしかすると、アーユルヴェーダが合わないのではないか?
とまで密かに疑っていた。
しかし、
占星術の先生との面談を受けた際、
そのチャートに現れた私の人生は、
何一つ外れることなく、
ネガティブなことばかりをチャート通りに話してくれた。
「ははぁ、仰るとおりです」
としか申し上げる事ができない。
(娘に話したら、もし、それを若い頃に聞いてたら悲しすぎる と言っていた)
「こんなチャートは見た事がない」
と先生がおっしゃるチャートは、
ポジティブな意味ではなく、
むしろ、
「あんたこれしか生きてく方法はないよ」
という最後通牒。
全部当たっているのだから仕方ない。
そういう星周りの下に生まれたのでしょう。
これもあって、最後には私も自分がピッタを装ったカパだということを認めた。
思い返してみれば、ピッタ風になったのは社会順応を始めてからだ。
私はピッタだと自分に思い込ませて生きてきた。
(幼少期を知っている母だけは、しつこい程に、身体に気をつけなさいと言い続けてくれている)
そして、キリキリ過ごす人生はやめなさい。
ただ一つのことだけをするのです。
という天の声があらゆる方向から聞こえてきた。
もう60だし、観念します。
という境地に立つ事ができたのでした。
結果、行って本当によかった。
途中で、もう少し若い時に受けた方が良かったのでは?
と思ったが、
(連日午前と午後施術を受けるのは相当体力が必要)
しかし、若い頃に占星術の話を聞いていたら、
ムカついて全て信じなかっただろう。
そして、なんと言っても、
施設の方々の温かさが半端ない。
こんなに面倒見てもらうことを心地よく感じることってあるかしら?
遠慮する隙がないホスピタリティ。
これってすごく難しいことだと思う。
2週間は治療には本当に最低ラインだと思う。
特定の症状がなく、
デトックスであれば短くても良いと思うが、
本腰を入れて人生を見直したければ、
最低2週間なのだろう。
そして、プロフェッサーの診断と
セラピストのMさんのセッションを受けられたことも、
すごく恵まれていただのだと思う。
パンチャカルマコースではなく、
治療コースだからこそなのかもしれない。
自分だけのためにこんな腕を持つ2人が2週間寄り添ってくれるのだ。
ありがたいことです。
そして、
「身体60年ありがとう記念」
に訪れたと思わせておいて、
最後通牒を渡すための2週間だったと気づいたのは、施設を離れた後だった。
相変わらず、上の掌の上で動かされる私です。
クラススケジュール
http://blueprintjapan.com/archives/info/057
team0x's blogより転載