トラウマと領域と絵巻物

 
トラウマなど、一つの事象・問題をどの領域から認識するかで、
その判断は変わってくる。 
 
物質次元であれば、
正しいか間違っているか。
 
エーテルレベルであれば、
流れるか滞るか。
 
感情レベルであれば、
快か不快か。
 
思考レベルであれば、
この場に沿うのか沿わないのか。
 
さらにその上に行けば、
全なる愛なのか、限定された愛なのか。 
 
ブループリントに沿っているのか、沿っていないのか。 
 
美なのか美ではないのか。
 
やがて、判断の必要のない領域に入っていく。
 
おそらく、本人がどの領域を優勢に生きているかによって、
判断基準は変わり、
エネルギーもそこに沿って流れていくのだろう。
 
 
最終的にエネルギーには陰陽がないとすると、
トラウマを受けるということは エネルギーの領域から見れば、
その時点である領域のエネルギーの何かが固定されるということではないだろうかと、
ふと思い至る。
 
私自身の幼少期のトラウマについて、
熟考しているが、
それは肉体レベルでの違和感
感情レベルでのパターン
と共にエネルギーレベルでも滞りを感じる部分でもあり、
それぞれの領域での解除が必要に思われた。
 
今回それは、幸運にもクラスでのEMDRのデモで、
半世紀ぶりの記憶が蘇ったことから始まり、
それぞれの領域に及ぶ呼吸法、
刀禅のお稽古で教わった踵から手の指先までのアライメントによる
肉体からのアプローチ、
また、ヒーリングチャクラ7を使ったYEメソッド
など様々な手法をあますところなく使って掘り下げた。
そして、
今まで思い出すことのできなかった詳細な記憶が半世紀ぶりに蘇り、
滞っていたエネルギーは解除されていった。
しかし、私の中でもう一つ気づくべき先がある様に思えてならない。
 
大人になってからのトラウマの場合、
それがネガティブになりうることは自分で容易に理解できるのだが、
幼少時の場合、
それがネガティブなものであることに意識的に気づくのは、
時を置いてのことになる。
しかし、それに対する無意識の反応は様々なところで見られる。
例えば、躾の場合にも
エネルギー的には同じ様なことが起きている。
何気ない日常を営む中で、
新しい領域の中での約束、きまりがあり、
自由なエネルギーが固定、限定され抑えなければならないのが躾である。
これは物質領域の正誤から見れば「正」なので、
ここで生まれたエネルギーの滞りはそれほどの問題にはならない。
しかし、エネルギー的には確実にある領域を固定化している様にも見えるので、
実に興味深い。
 
そして、
トラウマを受けるのがどの領域であれ、
それが他のエネルギー領域に派生していっている。
派生する前にそれを解除できたら、
それは治るのだろうか?
  
また、さらに上の領域からの切り口に変えれてみると、
トラウマを受けるということは、
そこに光があるからであり、
その光を取り戻すには、
その固定されたエネルギーの上の領域からの解除が必要である。
おそらく、私の場合意識的な固定エネルギーが介在していたので、
それを解除するにはその上の領域の全なる愛が必要だった様に思う。
 
何れにしても、
全ての出来事は大きな絵巻物の中に編み込まれていて、
その壮大な絵巻物を見る日が来ることを心待ちにする今日この頃です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載
http://yukiyamamoto.hatenablog.com/entry/2018/08/29/064636