私たちが求めてやまない様々な欲望。
それは、
誰にでもわかる「欲」
物欲、食欲、性欲etc
から始まり、
リア充(幸福、平和、繋がり)
智慧知識、
頑張る姿、
理解、
自分、
力。
を外にアピールしたい。
もしくは、アピールしている人に腹を立てる。
どちらもその下には欲望があります。
 
 
なぜ、アピールしたいのか?
(アピールに腹を立てるのか?)
それは、外重心で生きざるを得なかった「少し前(何十年)の教育」の賜物でしょうか。
 
外からの評価によって自分を定義する教育でしたし、
自分が行動できる外側の世界の情報が入ってくるのはマスコミだったので、
いわば2次元の表現でもアピールが通用していました。
しかし、
ここ最近、インターネットの急激な普及によって、
世界中の情報がボタンに触れさえすればいくらでも入り、
情報の2次元化がすでに3次元化され、
2次元アピールの奥にあるものを感じとっていることを「アピール」する事が
容易になっています。
「マウンティング」
という言葉が流行ったのもその一例です。
背後にあるエネルギーを「アピール」して、ここでも「自分を守る」エゴイズムが見え隠れします。
完全に感じてはいたけれども言葉にはしなかったエネルギー的な力関係
のことを皆が口にし、
違う方向からの「マウンティング」が始まるのです。
どの世代であっても、
自分の奥に潜むエゴイズムを見る以外に、
この連鎖を断ち切る方法はないでしょう。
 
  
  
最近では、
欲望をアピールすることは「イケていない」分類に入り、
ネガティブに傾けば無気力。
ポジティブに傾けば、
荘子の境地の様な若者が出てきています。
 
客観的に自分を見ていなければ、
いつ弾かれるかわからないコミュニティの中で、
常に客観的な視点を養って来ざるを得ず、
その中で収まり続け、エネルギーを内在させ引きこもり傾向に傾くか、
もしくは、
客観視する領域がコミュニティだけではなく、
さらに広い領域にまで及び、突出するだけのエネルギーの強さを持つ
存在の活躍は、
其処此処で見えています。
(それでも客観視はできている)
 
 
 
これらが、もしかして教育制度によっての変化であれば、
教育制度を考える際には非常に長いスパンで
教育制度を見て行く必要がある様に思われます。
 
教育制度ではなく、
人類的な変容過程であるならば、
さらに大きな視点からの俯瞰が必要になりますし、
これはとても大切なことの様に思われます。
 
 
いずれにしても、
常に常識は崩壊をし、
新たな常識が刷新されて行く中で、
外重心であることは今後も翻弄され続けることであり、
自分の中の主軸の構築は早急に見直す必要がある様に思われます。
 
 
エネルギー的にも、
外からのエネルギーによって自分を整えていくのは、
鎧をつけ続けることであり、
本質に至るベクトルとは反対に進んでいるという現象です。
外から来たものに対して、
どの様に自分が反応し、
その反応がエゴイズムによるものかどうかを見極め、
その反応の下にある本質から目をそらしているものに気づいて行くことこそが、
エネルギーの器を整えていくテクニックの様に思います。
 
 
 
@Kona
 
 
 
山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載
http://yukiyamamoto.hatenablog.com/entry/2018/09/01/084443