ヒマラヤと茶の本 3 幸福と空間認識

 

こうして、

私たちが存在する場自体を空間として捉えていく事。

それは日常生活の中ではなかなか難しいかもしれませんが、

日常を離れた場所へと進む時、

それを感じ取ることのできる機会となるように思います。

日本からダウラギリまで移動するまでに変化する空間は、

すでに様々な周波数を順に通り抜けているのです。

日常の場から空港へ、そして機上の世界へ。

降りる場所は日常ではない異文化であり、

またその異文化の中にも違った周波数が現れてくる。

この全体がすでにヒマラヤへの旅であり、

段階を踏むことによってさらにその旅は物理的のみならず、

エネルギー的な旅にもなり得るのです。

何故なら、その場その場の周波数に身を委ねられることなしに、

地球有数の高周波数の世界に身を委ねることは難しいからです。

これは徐々に自分をカラにしていく事に他なりません。

 

20年ほど前、

父の付き合いで

まだ就学前の長女と3人でお茶のお稽古に通う事になりました。

先生のお宅の前までは3人で日常の会話を楽しみながら向かいますが、

スッキリと掃き清められた門の前に立つと、

小さかった長女ですらそこに日常とは違った空間を感じるらしく、

一呼吸し身を整えて門をくぐっていました。

手入れされたお庭の味わい、

床の間までの数歩の空間であじわうピンと張った空気感の中で聞こえてくる

様々な音は、

おそらく日常生活の中ではかき消されてしまうような微細な音です。

畳の上を音を立てないように進む音。

庭にやって来る小鳥たちの羽の音。

お釜から生まれるお湯の音。

その微細な音の中に身を置いていると、

まるで宇宙の音を聞いているかのような心地になったものです。

90歳近かった先生が長女に向けてくださる優しいご指導の言葉の響きは、

その空間の中の彩りとして今でも心に残っています。

 

 

山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載 
http://yukiyamamoto.hatenablog.com/entry/2018/11/25/071618