正しさという呪縛 2

 

次回の「医療従事者クラス」からエーテル体に入ります。

 

 

そして、エネルギー領域の滞りの根源をみていくと、

十中八九「正しさ」によって折りたたまれた流れが見えてくるのです。

この「正しさ」は昨日のブログに書いたように、

地域によるもの、時代によるもの、社会によるもの、教育の枠組みによるものなど様々です。

そして、多くは「善意からくる正しさ」なのだろうと思います。

 

ものすごく壮大な話になります。

以前も書きましたが、狩猟民族から農耕民族への移行期、

ある一定の人数の集合体が一緒に生活するようになると「法」が必要になってきます。

「法」が必要な単位はおよそ150人だったと記憶しています。

ある程度の団体になればうまく機能させるためにはルールが必要です。

そして、その暮らしが落ち着いてくれば、

さらに衛生や教育制度を整えることにも目が向き始めます。

そうした人間の生活を向上させる過程で、

学校制度や宗教というパッケージは、

進化をある一定水準に持っていくためには必要だったのでしょう。

人類全ての人たちというわけにはいきませんが、

おそらく多くの国でこれは成し遂げられてきたことと思います。

 

「法」

には、正しさが要求されます。

この「正しさ」というパッケージを変容させる時期の様に思うのです。

 

ここ数年間の社会変化は眼を見張るばかりです。

会社に出向かずに好きな場所でリモートワークを推奨する動きは、

今後ますます広がっていくでしょう。

学校も「N校」の様に、

出向いて教室で授業を受けることを選択しなくても良い制度を取り入れ始めています。

そうなると、

今まで当たり前に大切にされていた

「周りの人の価値観に自分を沿わせる」

という事が希薄になってくるでしょう。

団体行動のパッケージがなくなり始めていくのです。

 

そうなれば「パッケージ化された法」という

枠組みが次の進化にとっての足かせになる時代なるのではないかと思うのです。

すでにパッケージを必要としない若者とパッケージ慣れした世代のギャップを感じている人が

多いのではないでしょうか。

法があるから従うのではなく、

選択肢が広がったのですから、

自らがその場に相応しい選択を考えることが必要になってくるように思います。

本来ならば中庸を選択できる足腰が全ての人についていれば良いのですが、

これは非常に難しく、

現時点ではまだ「枠組みと自由」という膨張と縮小を繰り返しながら進化する段階なのかもしれません。

 

 

次の進化は何だろうとよく考えます。

現時点での問題に想いを馳せると、

多くの問題下に必ず感情が絡んでいるように思います。

 

もし、私たちが自己感情を交えることなく、知性で物事を選ぶことができるようになれば、

今の地球上の問題の多くは解決できるのではないかと思うのです。

そう、前回のトップに立つ存在の「正しさ」然りです。

 

「自分だけの正しさ」

から、全体を見渡しての「正しさの選択」をすることは難しいでしょうか?

人類の大きな次なる課題です。

 

 

 

 

 

山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載