パッケージにせずアップデートする
次回の「医療従事者クラス」からエーテル体に入ります。
私は同じ事をし続けてパッケージ化していくのは嫌いなのですが、
コツコツ積み上げることは好きです。
この違いをわかっていただけると嬉しいのですが…
クラスの中で平日クラスと土日クラスの内容を同じにしなければ
と心がけていても、どうしても少しづつ変わってきます。
それは、参加者のニーズもエネルギーの傾向性も違うからです。
メンバーの 日々のエーテル体鍛錬の様子を見ていても、
回数や時間をこなすというパッケージで鍛錬している人と
コツコツ積み上げる人の違いはますます出てきています。
なぜ私がパッケージが嫌いか考えると、
単純に「飽きる」からです。
同じ事を繰り返すのであれば、
AI化した方が性能も良いはず、とも思ってしまいます。
人間、全く同じ人はいないのだから、
実はパッケージの中に入れて、
その中の法に従わせて成長させるのは、
不自然といえば不自然なのではないか、と思うのです。
私は小さい頃から、
パッケージの中に入れない子どもでしたから、
「学校」
というパッケージの中ではモチロン「イケテナイ子ども」でした。
あの頃は、それに病名をつける事がなかったし、
母が稀に見る周りの目を気にしない大らかな人なので、
パッケージに無理に押し込まれる事はなかった様に記憶しています。
今のお子さまたちの教育環境パッケージ化は本当に本当に大変だと思います。
パッケージ化にとって邪魔になる、
「感性」「柔軟性」
を必要とするのが、積み上げ作業だと思います。
ヘーベルハウスとサグラダファミリアの違いみたいなものでしょうか。
パッケージはパッケージにしかならないけれども、
積み上げ作業は無限の可能性があります。
どの様に積み上げていくかは、
毎日、少しづつ変化があるので、
常に変化し「アップデート」するからです。
こちらには、未知、無限の可能性があります。
一回毎に、違いを味わい確かめながら感じながら、
更に、どの道筋を選択していくとどの様な変化があるのか、
それを確かめながら進んでいけば、
それは、常に個性的なアップデートをする事になり、
気付いた時には面白い発見や変化に繋がっていきます。
これがあるからコツコツ積み上げる事が楽しくなるのです。
亀の様に歩みが遅くても、
日々、プチ発見があるのですから楽しい道のりです。
山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載