身体という装置 3 恐れとの対峙、統合

 

2021年 10月 9日(土)中央公民館一階集会室(わら舞)

地に足を着けなおす 15:10〜

医療従事者クラス・エーテル塾 11:00〜

舞扇・仙骨尺をお忘れなく。

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私たちの多くは「どうしようもない恐れ」と共に生活しています。

それは日常化され身体の痛みになっている場合もあるのです。

多くの場合その「恐れから逃れるため」だけに、

日々のスケジュールを入れ、腹や時間を埋め尽くし、

気づくための隙間の時間を無くそうとしています。

エネルギー感知をしたい人ですら、

エネルギー感知を、「その恐れ」から逃れるための手段にしようとしてしまうのです。

しかし、自分の影が自分からは、けして離れないように、

その恐れは、一瞬麻痺させても、またすぐにやってきます。

だから、無限の麻痺ループは続きます。

 

私がヒマラヤへ定期的に行っていたのも、

その「恐れ」のせいかもしれません。

恐れに恐れで対抗しようとしたのかもしれないと思うのです。

雪豹が近くを彷徨っている洞窟に泊まりに行ったり、

この世の果てのような場所にあって、

文明社会の生活とは程遠い生活をしなければならないゴンパに滞在し続けるのも、

自分の中の恐れとの対峙だったのではなかったかと考える事があります。

道中すら快適さとは無縁の

車がいつ崖から落ちても不思議はない行程だし、

意外にも日本では神経質な私も、衛生状態で腹を括らなければならないし、

ネズミと共存しなければなりません。

 

物質面はもちろんのこと、

アストラルの世界でも気が許せません。

何しろインドから退治のために呼び寄せられたパドマサンババから逃れるために、

最強の魔女がチベットから逃げ惑った地なのです。

滞在するゴンパは、

その魔女の身体の部位がそこ此処に収められています。

本殿には心臓、

私の部屋は本殿の真上。

辺り一帯には108の身体部位が封印されています。

その周波数に合わせないようにとにかく昼も夜も気が許せません。

なぜなら、アストラルの世界は周波数が合った途端に入り込まれる可能性が高くなります。

強い強い意志と意図が必要なのです。

 

夜中2時までは彼方の時間。

なるべく息を潜めて過ごします。

2時過ぎると懐中電灯を片手に半分腐った木をくり抜いた手作りの梯子を登って屋上に。

慣れてしまえばよいのですが、

来るたびに腐った部分を踏まないよう足が慣れるまでドキドキします。

それでも、この時間になるとこの荒地に吹く風が変わるのです。

他人行儀だった流れが包み込むような流れになるのです。

しかし、包み込むような流れに乗ってはいけません。

天の川がくっきりと浮かび上がり、流れ星が縦横無尽に飛び交います。

ついつい、星に願いをこめてしまいそうになりますが、

それも「私」の欲求です。

注意深くあらねばなりません。

ウールの下着とダウンを2枚重ねても。

この地の深奥から伝わってくる冷気が容赦なく身体の中まで染み入ってきます。

この感覚もすべて、「私」の意識です。

 

ここで通常の「自分」でいることは、危険なのです。

 

決まった時間に眠ることも、

決まった食事を取ることも、

「自分の妄想」の中に入り込むこともできない。

 

本当に油断なく、生活するには、

「自分」という枠組みの中に入っているのも危険なのです。

なぜなら、それは麻痺させるための鎧でもあるからです。

守りは内側の麻痺にも繋がるのです。

空調も、食事もスイーツもお酒もPCもスマホも話し相手も

便利で心地よいものは本質を麻痺させる道具です。

 

「自分」という枠組みの中でもなく、

アストラルの世界で繰り広げられている中に入るのでもなく、

その双方の中に入り込まないように慎重に慎重に

ただ存在するのです。

「自分」もアストラルも双方に恐れがあります。

しかし、ただ存在すれば「恐れ」すらありません。

 

その際に、

自分がどこにあるのか認識する一つの指標が身体という装置なのです。 

 

 

 

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team0x's blog より転載