ピカソの作品は奥へと導く
2022年 12月10日(土) 蕨市民体育館
地に足を着けなおす 15:10〜
医療従事者クラス・エーテル塾 11:00〜
舞扇・仙骨尺などグッズをお忘れなく。
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ピカソはその作品の奥へと私を導く。
多くの芸術はこちら側に迫るエネルギーによって圧倒されるが、
ピカソ作品は、迫ってはこない。
次元空間が他のアートとは違うのだ。
それまで全く範疇外だったが、
ポーラ美術館でピカソと出逢い直し、
アートの世界の域を超えたエネルギー空間に圧倒された。
ピカソについて調べているうちに興味を持ったのは、ピカソの女性遍歴だ。
時空間を変容させるには、陰陽を超えた状態が必須だと仮説を立てているので、
女性遍歴の善悪ではなく、
どのようにそれが現れているのか興味があったのだ。
エルサレムのイスラエル博物館から来ている版画作品を見に長崎美術館を訪れた。
『ピカソーひらめきの原点』
長崎美術館は、平日の昼間、東京では難しい作品との距離と空間を保つことが可能で、
たっぷりとその作品を堪能することができた。
1900年の作品から始まり、
青の時代、バラ色の時代へと作品は続く。
やはり、この次元ではない時空の中に作品はエネルギーを放つ。
キュビズムに入ると、こんな言葉があった。
「抽象芸術なんてものは存在しない、とりあえず描き始める。
それから現実の全ての痕跡を排除していくのだ」
なんとも想像力を掻き立てられる言葉だ。
新古典主義のあたりから、
オルガとの出逢いがあり、
その後、マリー=テレーズ、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、
ジャクリーヌ・ロックへと続く。
この女性たちの間を私は何度も何度も往復した。
女性によってその奥行きに立ち現れるエネルギーの質が違うのだ。
これは、本当に面白い。
その中で一枚だけ母親をテーマにした作品があり、
これだけはそのどれとも違うエネルギーだ。
密度と空間の関係性が明らかに違っている。
ピカソが
「どの女性も愛している」
と言った言葉に偽りはない。
なぜなら、どの女性も違った空間をピカソに与えてくれていたのだ。
そして、それが作品のエネルギーとなっている。
恐らくは自分でも気づかない本質とも言えるエネルギーを提示される女性側の悦びは
計り知れないものだったのではないだろうか。
ピカソとの時間の中で、掘り起こされ、提示された自分のエネルギーを知ってしまったら、
それなしで生きていくのは難しいかもしれない。
最後に展示されていたのが、
347シリーズ。
86歳の時、7ヶ月で生み出した347点のエッチング。
もはやこの次元で感じられるエネルギーの流れはない。
作品が静かに存在している。
「ある境地」
まで達した時、これらの作品が生み出されたのだろう。
アートのことは全くわからないけれど、
ピカソによって次元変換の地図を見せてもらった。
長崎まで足を運ぶ価値はある。
クラススケジュール
http://blueprintjapan.com/archives/info/057
team0x's blog より転載