杼による神経へのアプローチ 5
そして、このエネルギー状態になれば、
難解な様々な教義がエネルギー状態を著しているのだという事が理解できる。
行間に存在するエネルギーが立ち昇ってくる。
やがて、そのエネルギーは、自分の身体内部をも浸している。
難解な文章は、人間が謙虚になる為に必要なのかもしれない。
しかし、それは「私」の
身体を
感情を
思考を
超えたところにある。
身体、感情、思考は、到達するための必要不可欠な「ツール」である。
しかし、それを超え、次の領域に到達した時、「ツール」は「ツール」でしかなくなる。
更に、それが身体に感情に思考に思ってもみなかった、新たな「在り方」を示してくれる。
再誕。
声高に分かったと声を上げる必要はなくなる。
なぜなら、
畏敬の念を持たざるを得ないもが溶け込んでくるのだ、
謙虚にならない筈がない。
エーテル視力的でこの状態を観れば、
そこには隠しきれない特徴が生まれている。
間違い様がない。
これがエーテルの入り口だ。
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http://blueprintjapan.com/archives/info/057
team0x's blogより転載