モロッコの事件の報道がありましたが、

人は特定パッケージの中に入っていると

何と残酷なことにも手を染めてしまうのでしょう。

そして、もしも自分が幼少期からそのような教えの中で育ったら、

どのような選択をする可能性があるかも

念頭に入れておく必要があるように思います。

出来ることならば全ての人が、

パッケージの中の教えではなく、

一人一人、命というものを

死というものを考えていかねばと思います。

人の命を絶つこと

自分の命を絶つこと

これは物質的な世界のみならず、

エネルギー体にも非常に大きな影響を及ぼします。

 

ものすごい確率をくぐり抜けてこの身体を持つことができた私たちは、

この貴重な身体を粗末に扱うことは許されないと思うのです。

万全に生きるためには、

真摯に死を考える必要があるように思います。

 

昨日は、ブループリントファクトリー主催の

「死への移行期の肉体とエネルギー体の変化について」

でお話しさせていただきました。

半クローズドの会合でしたが、

クラス以外の参加者の方も活発に質問してくださり

楽しい会になりました。

万全に生きた時、

「死」

は人生最大のセレブレーションになると思っているので、

他の人はともかくとして私は

万全に生き、死を楽しく準備せねば!

と思っています。

 

思えば私は幼少期から、

誰かが亡くなると、

「どうして死んじゃうの?」

ではなく、

「どうして私を置いていってしまうの?」

と、残された感を強く感じます。

今でも。

 

物質的肉体の限界があるこちらの世界を窮屈に感じ

「生きる」ことにコミットすることができる様になったのは、

他の人よりもずいぶん遅かったと思います。

ですから、限界を感じていた部分の感覚はうっすらと残っています。

最近では、その感覚はさらにパーセンテージを増している様に思います。

そして、

やがてはそちらに戻って行くのだとわかるからこそ、

この窮屈な限定された世界を明日離れることになっても後悔がない様に、

効率よくテキパキと余すところなくこの身体を使って生きようと思うのです。

 

 

 

話は戻りますが、

昨日、皆からの質問に答える中で

そして「青松」で涎ドリを食べながら気づいたのです。

「あんまりテキパキと面倒を見過ぎると、

晩年寝込む確率が高くなる恐れがある。と。。。」

病床で祈りを捧げながら生涯を終えるという手もありますが、

私は寝たままでいると頚椎周りが痛くなってくるので、

これは懸案事項としなければなりません。

 

と言うことで、

「青松」で、酸辣湯麺を取り分けてもらうところから

お世話される側に回りましたwww

「今後、私はお世話する側からされる側になっていきます!」

宣言です。

 

しかし、

その後、

「ユキさん、Yちゃんのいっていた様に

『眠る時に身体から抜ける宿題』をすると、

夢でユキさんの講義を聞くようになりました」

と数人から告げられ、

あっ、そうだった!夢の中でもお世話しているのだった。

と思い出し、

これは、どうしたら良いか・・・

懸案事項が3つに増えた楽しい冬至の1日でした。

 

しかし、

最大のセレブレーションとして迎える死(←字がすでにシャーマニックで悲しい感じ)

そして、「死のシステム」を知ること

は全ての人間にとって必要かと思われます。

エネルギーのことを話すと

「怪しい」と思われる方が多いし、

昨日も霊能者の霊能者限定アストラル領域の話を聞き、

どちらも辟易しますが、

死ねば全ての人間が体が無くなって

「エネルギー体」になるし、

霊能者の言う世界が非常に低い階梯のものであることが

お分かりになるでしょうし、

そうすればぐうの音も出なくなります。

 

そして、人類最大の恐怖である死を学べば、

世の中の問題の大部分は解決して行くのではないかとも思えるのです。

 

死の教え

 

楽しく死を語りあう

 

富田さんが頼んだ命名が謎めいている「青松」のカクテル

 

 

 

 

 

山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載
http://yukiyamamoto.hatenablog.com/entry/2018/12/23/084252