それは、ある「ライン」から始まりました。

 

 

エネルギー体のそれぞれの階層に焦点を合わせていると、

明確なラインを有するレベルに出会う事があります。

その世界観を始めて味わった時の事は今でも覚えています。

 

集団生活に馴染めなかった私は、

歩いて1分ほどの所にある小学校が終わると、

急いで家に戻り、運動靴を玄関に脱ぎ捨てて、

2階にある自分の部屋に駆け上りました。

運動靴を揃えて上がらないことを叱る祖母の声との競争です。

2階の窓を開けて空を眺める事が私の毎日の楽しみでした。

空を見上げていると色々なものが見えました。

金色の網が全体にかかっていたり、

鳥が動くと揺れる光。

小さな光の粒。

視点を変えるといろんな世界が見えて、

時間が経つのを忘れてしまいました。

そんな中でも1番気持ちの良かったのは、

ふとラインがある事に気付いた時の事です。

そのラインに焦点を合わせると、

一瞬にして無限に続く世界と繋がれる事でした。

窮屈な肉体に限定された世界に閉じ込められた意識が伸びやかに広がる心地よい空間は、

不協和音を感じている日常生活からの秘密の隠れ家のようでした。

やがて、そんな生活も許されないスケジュールに合わせなければならない日々が訪れ、

その感覚をすっかり忘れてしましたが、

それは、ただの気のせいではなく、

当時の私には確かに可視化出来ていたものでした。

 

普通の生活の中で周りの人たちが、

思っている事と表現する事が違っている不協和音のような気持ちの悪さは、

その頃の私にとってはひどく不確かで濁った世界に見えました。

しかも、その世界に入れば自分も思っている事と違う事を表現してしまう事。

それは棘のように今でも私の中に刺さったままの状態で、

痛みを感じ続けています。

痛み以上に自分が生み出す不協和音が辛くなります。

だからこそ、私はヒマラヤまで赴き誰にも会わない時間を必要とするのかもしれません。

 

秘密の隠れ家の存在は、

小学校の高学年になるとすっかり忘れ去られていきました。

その時のことを思い出すのは、数十年後の事です。

 

ある日、エネルギーワークで周波数を変えていった時、

無限につながるラインに再会したのです。

伸びやかな深い静けさと共に

「何故その世界を忘れてしまっていたのだろう」

と、呆れました。

そして、数十年かけて戻ってこられた幸せに安堵しました。

 

しかし、数十年前の純粋だった頃の晴れやかなエネルギー体は影を潜め、

様々な要因によって曇っていますから、

ずっとその世界にいることは叶いません。

手順を追って整えていく事によって、

やっとそのラインが確かに自分の中にも顕現している事を思い出すのです。

 

それは全ての人の中のあるレベルに存在するラインなのです。

このラインが明確になる事によって受ける恩恵は計り知れないものがあると思っています。

エネルギーワークによってそのラインを整える事はできます。

問題は、それを「どの様に維持してくか」

なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載