身体という装置 ー曖昧さの回避ー

 

見えないエネルギーの物差しを作る。

エネルギーを感知し始めた時に不思議に思っていた事があります。

それは、一人一人の持っているエネルギーの質(手応え、色、音etc)が違うという事です。

訓練の場や実践の場でその様子を見ていると、

明らかな違いがあるにもかかわらず、

そこに言及している人がいない事です。

「気功」でも「ヒーリング」でも「様々なエネルギーワーク」でも。

パワーやテクニックについての教えはありますが、

個人のもつ基本的なエネルギーとその人が一定の周波数を流した時に顕現するエネルギーを

綿密に精査する事はあまり見た事がありません。

自分でもその曖昧さをどの様に明確にしていけば良いのか、

試行錯誤を重ねてきました。

そうした中で、ある時自分のエネルギーが明確になっている事に気づきました。

何故だろう?

と振り返ってみると、

それは本当に昨年。

お稽古の中でやっと「立てている」事に気付いたあたりなのです。

 

お稽古に入らせていただくまで私は、

「立つ」

という事は当たり前に人間はできる。

と思っていました。

しかし、「明確に立つ」という事がどんなに難しい事なのか、

小用先生のお稽古を8年前に始めてから思い知りました。

「立つ」事も

「歩く」事も

明確なラインを保ちながら身体を扱うことの難しさ。

明けない夜明けのように もどかしく遅々として進まない日々でした。

今でも、先生や諸先輩がたのように明確にラインや面を顕現しながら「立つ」

には全く及ばない事はお稽古を重ねる度に感じる事です。

二足歩行においての身体は、いかに曖昧で言うことをきかないものであるか、

お稽古では、生身で分からないところは、

様々なお道具や相対稽古によって修正されていきます。

そうしているうちに、

自分の体型が変わってきていたり、

転びにくくなっていたり、

肩に入っていた力が抜けてきたり、

先生が仰っていた「面」や「通す」「グワン」と言う表現を

朧げながら感じ始めてきました。

これは、お稽古を始めて7年目の昨年の事です。

他の方は恐らくもっと早くその感覚を掴むことがお出来になると思いますが、

私は元々武術の嗜みがあったでもなく、

亀のような歩みの8年間です。

 

しかし、この歩みの遅さの中で

確実に自分が顕現するエネルギーの質と周波数の明確さと身体

というテーマを見いだすことができたと思っています。

「エネルギーという曖昧な世界の物差しを自分の身体で作る」

のです。

 

エネルギーの世界からいえば、

エネルギー体が先にあり、

最終段階が肉体です。

そこには明確な様々なラインがあり、

美しく統制が取れています。

何も問題なければ良いのですが、

肉体に到達する前に、

大抵はエネルギー体に滞りが出来、

肉体の状態はそれに伴って滞りが出てきます。

自己感情がいかに揺れ動きパターン化した思考も直らないのか注目してみれば、

矯正する事の難しさがお分かりになるのではないでしょうか?

鬱々同じ思考の中で暮らしていれば、

肉体にもその影響は出てきます。

しかし、身体を動かしてみるとその状態が変化する経験は多くの方がしていると思います。

エネルギーと感情と肉体は連動しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載