正しさという呪縛5 エネルギー実習
次回の「医療従事者クラス」からエーテル体に入ります。
今月のクラス
提示したエレメンタルを使って鎧を一枚づつ認識し、
より深い部分へと入っていく実施でしたが、
土日クラス後は、
本当にヘトヘト。
歳でしょうか・・・
人によって様々な鎧があります。
薄い鎧が一枚づつ付いていることもあれば、
強固な鎧が一枚岩の様に立ちはだかっている場合もあります。
数十年かけて作り上げた一枚岩は、
ご本人にとってそれを少し揺らがす事すら生死に関わりそうなくらい大変な事です。
しかし、その鎧がある限り、
本当の五感を味わうことすら難しいのです。
多くの場合、
その下には、
自分自身に対する「罰」の意識があり、
それがエレメンタルとして
「楽しむ」
事を拒んでいるからです。
そして、
それは水に生まれた波紋が美しく広がる事を人工的にストップする様に、
そこにあるエネルギーの流れを止めてしまいます。
鎧に費やされるエネルギーの量を測り目視することができるのであれば、
多くの人は、
その莫大さにすぐさま対処法を探すことでしょう。
しかし、
残念ながらそれを測り目視する事はできません。
ですから、
その鎧は、さらに強固に補強されてしまうのです。
その中にいると、
五感は、麻痺するのですが、
長年かけて作り上げられた鎧によってそれすら気づきません。
側でエネルギーを見れば、
それは明確なのです。
また、この強固な鎧にアプローチするタイミングは、
余程の準備ができていなければできません。
エネルギーの学校が始まったのが2009年。
こんな事をクラスで扱う様になるとは想像もしなかったし、
途中からのリーダーさんは上になったので、
毎回どの方向に流れていくか、ドキドキですが、
今回の事は、螺旋の様に少しづつ歩んできた1つの道しるべの様にも思います。
そして、
今回また新たに認識したことがあります。
それは、
「自分を許せるのは自分だけ」
という事です。
これは自分に甘く
と言った軽い意味ではなく、
数十年間の罪悪感を本当に解放できるのは、
法でも、神でも、セラピストでも、親でもなく、
「自分」
である事。
何故なら、今度は「許した人」に力を与えてしまう事になりかねないからです。
「自分で自分を許す責任を持つ事」
その為には、
その人が「育って」いる必要がある事。
例えば、加害者になった人の鎧を辿っていけば、
その様になった原因が見えてきます。
それは恐らく幼い頃の要因が根っこにある様に感じます。
裁判において「法」によって判決が下ったとしても、
その人が本当の意味で解放され、許すことができるのは、
恐らく「ご自分」だけです。
また、強固な厚い鎧の持ち主には、
必ずと言っていいほど、
「正しさ」
を強調する傾向があるのです。
山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載