次回の「医療従事者クラス」からエーテル体に入ります。

 

 

エネルギーには方向性がある。

水の流れも、

風も、

火も、

もちろん私たちにも。

自然のエネルギーはより大きな全体性の流れに影響を受けて流れる。

海でも川でも、

火でも風でも。

恐らく鳥や海中生物や動物も。

では、私たち人間は?

 

恐らく、私たちが個の意識を持っていなかったとすれば、

他のエネルギーと同じようにより大きな全体性の流れに委ねるように

エネルギーは流れていたのではないかと推測する。

これは、エネルギーワークや瞑想をすると、

やがて、個という意識が薄れ、

より大きな存在や流れを感じる事でも想像できる。

 

しかし、

私たちが暮らしているこの街に、

自然の流れはほとんど見えない。

 

ヒマラヤ山中に行くと、

ほとんどの人が自然の流れの中で生活をしているが、

極寒の地であっても、

火を使うのは、調理する時間前後だし、

水の流れを変えることもなく、

生活に必要な分だけ小川に汲みに行く。

電灯も最近では中国が電気を引いてくれたらしく一定の時間だけはつくが、

殆どの時間は漆黒の夜を過ごすので、

基本、皆早く寝る。

お風呂やシャワーに入る習慣がないのも、

こうした背景があるからなのかもしれない。

だから、

あそこに行くと、

より大きな全体の中にスッと入り込むことができる。

そして、自分もその一部である事を自然な形で感じ、

言葉ではなく、

エネルギーの交流でやり取りをする事も当たり前に可能になる。

それは人間のみならず、

見えない存在との交流も難なく行われる。

そして、それは時間という流れにも従順で、

同じ場であっても、刻々とその主役は交代していくのだ。

 

エネルギーの流れの中に、

人の想念の影響がどれだけあるかという話です。

 

 

 

 

 

 

 

山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載