エネルギーの世界を生きる 2 慈悲というエネルギー
5月9日 11:00~14:30 医療従事者・エーテル塾合同クラスはzoom配信です。
messengerグループを作りました。招待がまだの方はご一報ください。
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先日もお話ししたように、
元々概念に共感してエネルギーの世界に入ったわけではなく、
「なぜ、変わるのか?」
という疑問を解消する為に日々を過ごしているので、
何か一つの派に属したり、
本を丸々一冊信じたり、
一つの手法に固執したりすることはありませんでした。
パターン化したエネルギーが変容して
心地よく流れ、より広く深い世界を感じる事ができるかどうか
これを指針にしてきました。
昨日の、朝のワーク中、
クラスのメンバーからの質問があり、その答えの中にいつも使わない言葉が出てきました。
「慈悲」
という言葉。
様々な意味で多くの方がこの言葉を使われていると思います。
エネルギーの学校では「愛」や「慈悲」は、取り上げないテーマです。
それは元来私たちに備わったエネルギーだからです。
それらが横たわるところまでクリアになれば、
自ずと現れてくるものだということをエネルギーで当たり前に感知することができます。
相手の発言や行動を見て、
「なぜ、そうなるに至ったのだろう?」
という疑問をもち、
様々な方向から観察してみると、必ず理由があり、
自ずと共感が生まれ、
内側からエネルギーが流れ始めます。
それを体験した時、私たちの体は内部からあたたかいエネルギーが湧き上がってきます。
そして、その湧き上がるエネルギーの中に反発している相手もふと気づけば、
当たり前に招き入れることができるのです。
この湧き上がるエネルギーの正体が慈悲です。
この時に大切な事があります。
クリアであること。
固定観念やパターンを除去しておく必要がある事。
もしも、それでも相手をジャッジしたくなったら、
今度は自分に
「なぜ、そう思うのだろう?」
と目を向けてあげます。
必ず、理由があります。
そしてそれを
「うんうん、そうだったのか」
と認めてあげれば、
これもまた自分に内的な慈悲が溢れ始めます。
これは、お気づきかもしれませんが、YEメソッドです。
あなたのお腹が暖かくなりませんでしたか?
それが、慈悲のエネルギーです。
空気も当たり前にここにあるけれど、
それを取り出し何かに入れると別物になります。
(昔、観光地の空気を入れた缶詰があったけれどまだあるのでしょうか…)
エネルギーはそこに存在し流れているからこそ本来の価値になるのです。
慈悲は取り立てて声高に主張するものではなく、
落ち着いて内面に目を向ければ、
当たり前に存在するものです。
声高に主張したりワークした時点で、
それに沿おうとする心が無意識に働き、
「そうあらねば」
というパッケージ化したエネルギーが働き始めます。
そして、内的な慈悲を覆い隠します。
それは外を探さずとも、あらゆるものの中に存在するものなのです。
大切なのは、
本来持っているエネルギーの流れを止めているものを認知し、
解放すること。
そして、その本来持っている自然の流れをパターン化させることで止めないこと。
温暖化対策では、
地球本来の力を阻害してきた人間の文明が問題になっています。
「もっと自然に目を向けよう」
素晴らしい主張です。
しかし、
上なるものは下にもあり
私たちの中にある本来のエネルギーの流れが滞る、後付けのパターン化したものであれば、
大いなる地球も同じ現象になるのではないでしょうか?
この様に思います。
「これが良いから」
「これが正解だから」
という選択ではなく、
しっかりと自分の中にあるエネルギーの流れを感じて事にあたらなければ、
私たちは永遠に、日和見主義で大きな勢力を持つものの駒の一つになってしまうのではないかと。
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[今後の予定・お知らせ]
4月以降のスケジュール
4月以降第2土曜日11時〜は、医療従事者クラスとエーテル塾合同クラスとなります。
team0x's blog より転載