「物語」という半球状態

 

意識しなければ殆どの人は「物語」の中で生きていることすら気づかない。

しかしこのシステムが理解できると

「物語」の中だから孤独だと思う

「物語」の中だから誰も理解してくれないと思う

「物語」の中だから自分の枠組みを決める

「物語」の中だから自分の在り方を揺るがしてはならないと思う

「物語」の中だから自分の地位を揺るがしてはならないと思う

「物語」の中だから他の人にどう見られるかが気になる

あぁ、数限りなくある「物語」はどれだけ私たちを様々なエネルギー領域から遮断するのだろう。

 

エネルギーを観察すると、

「物語」の中に生きていることに気づかない人は、前面のエネルギーは活発でも、

背面のエネルギーは殆ど動いていない。

硬結を背面に甲羅のようにつけているからだ。

 

先日、2人目の孫が生まれ、

そのエネルギーを観察すると、

前後左右上下に福々とエネルギー循環がある。

「物語」が作られていない状態のエネルギー。

泣いている時に、杼のエネルギーに合わせてみるとピタリと泣き止み、

慣れ親しんでいるかのように宙を見つめていた。

「私たちはそこからやって来たのではないだろうか。そこを知っているのだ」

と思わずにはいられない目つきだ。

 

まだ真っ暗な早朝、娘と交代しておチビさんのお世話をする私の楽しみは、

私も物語から出た状態で二人で寄り添うことだ。

これがとても楽しい。

エネルギー共鳴は近くにも遠くにも作用し、

なんとも言えない空間が生まれてくる。

 

そんな空間の中で感じるのは、

「私たちの一人ひとりの意識は神の視線」

なのではないかという事。

「物語」の中での意識は「私」のものでしかない。

しかし、私たちが物語から出て、

様々な波紋に共鳴していった時、

私たちの意識は大いなるものの視線であることに気づき、

その目となる事が出来る。

大いなるものの指先として様々な経験をする。

 

この旅は、大いなるものから離れ「個」となり、

あんな事も、こんな事も取り混ぜた様々な経験の中で記憶をなくし、

そして、その中で、個であるという不自然な「物語」から目覚め、

大いなるものに再統合する大冒険なのではないだろうか。

壮大な呼吸のサイクルなのかもしれない。

孤独も理解してもらえないことも枠組みも地位も名誉もそこでは意味を持たない。

ただ福々と満たされているだけ。

 

意識が個の中に落ちてしまった状態から、

如何にそれに気づき、

大いなるものという故郷に戻るのか。

 

これから長い旅が始まるチビさんとエネルギーの波紋を渡り歩きながら、新たな人生を応援する。

個に落ちないでこの意識を持ったまま生き続けることも可能なのか?

そうすれば世界は変わるだろう。

 

夜明け前は素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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team0x's blog より転載