私たちにとって最大の恐怖は死であり、

また、全ての恐怖の根源も死にあると言われています。

どんなに便利な世の中になっても、

老いて死にゆくことを免れることはできません。

先のブログに「変化」することに対する恐怖

という文章がありましたが、

死は人生の中で最大の変化でもあります。

文明国では「死」はなるべく見ない様にしたいという傾向にありますが、

私が頻繁に通うヒマラヤでは、

「死」は当たり前に生活の中に横たわっているものです。

厳しい環境の中での生活ということもありますが、

彼らは、生まれた時から

自分たちが死に向かって一歩づつ歩んでいることを忘れないのです。

ですから、日々、今の生活と死の向こう側の生活のためにマントラを唱え、

祭壇を整え、祈り続けているのです。

彼らの生活の中には輪廻転生が当たり前に入り込んでいるので、

「あの僧院のリンポチェは私のおじいさんの生まれ変わりだよ」

という会話も、さらっと出てきます。

私は、 死の間際に立ち会う機会を与えていただく事が多く、

「生」と「死」の間にエネルギーの質感がある事を感じていました。

ヒマラヤに通う様になり、

さらにその質感は日本にいる時とは微妙に違っていて

もっともっとすぐ隣にあるものだと感じる様になりました。

この質感の違い。

これはなんでしょう。

死が遠いものだ別の世界のものだと思っているのは、

実は私たちの意識の鎧ではないだろうかと思うのです。

しかし、生きている生命体である私たちにとって

死は当たり前にそこにあり、

親密なもののはずです。

山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載

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