エネルギーを感知するということ

 
  
 
祭壇とは神と自らを繋ぐ架け橋
 
我が祭壇は自らの中にありしもの 
 
自らに花を捧げ、大地の栄養を与え、水を与え
 
灯りをともし、常に新しき風を与えよ
 
神とは外に探すものにあらず
 
自らの中にあり
 
自らの中の神と繋がりしとき
 
すべてのものの中に神を見
 
すべてを慈しむことになるであろう
 
我が肉体は神聖な祭壇なり
 
 
 
これは15年前、2003年にヒーリングトレーニングに入る際、
 
自分の身体の絵を書く課題が出て、
 
その時に上から言われた言葉です。
 
 
 
 
 
様々な種類の「エネルギーを感知する」があります。
 
昨日のブログにあったようにヒューマンエネルギーフィールドの第1層を感知する。
 
事もそうですし、
 
「高い存在からの声が聞こえる」
 
とか、
 
この神社は「気」がいい 
 
とか。
 
しかし、「その感じる」という感覚はあくまで主観的な感覚であり、
 
UCLAの研究室にある特別な装置がどこにでもあるわけでもなく、
 
(私のところにあるNESもこの装置も
 
ある一定の周波数を感知するものであり
 
エネルギーも固定されるものではないので
 
全体像は不明で現れる情報が絶対的なものではないように思う)
 
ですから、物質界だけでカタがつくものであれば、
 
見えないエネルギーを感知する必要など一つもないと思うのです。
 
 
 
私も、30歳の時に自分が原因不明の頭痛になり、
 
(その当時の)西洋医学や東洋医学を上から下まで全部チェックしても
 
何一つ変化がなく(今だったら解明できるかもしれませんが)
 
仕方なく、見えない世界に頼らざるを得なく、
 
しかし、約2年がかりでどうにもならなかった頭痛がスルリとなくなり、
 
「なぜ良くなるのだろう?」
 
という興味から入ったエネルギーの世界です。
 
西洋医学で治っていれば足を踏み入れる必要はありませんでした。
 
何事も効率よくこなしたい私は、
 
これもすぐに解明できると思って足を踏み入れましたが、
 
探求すればするほどに、
 
「本当のこと」
 
は、遠ざかっていきました。
 
曖昧なんです。
 
周波数の事が知りたかったので、
 
厳しいとされるヒーリングスクールで学び周波数には落とし所ができましたが、
 
さらにその上にある「本当のシステム」を知りたくなります。
 
インドのヒマラヤの麓まで
 
「本当のこと」を体現していると評判の人のリトリートに参加したり、
 
プロフィールに書ききれないくらいいっぱい学び
 
いっぱい修了書をもらいましたが、
 
「本当のこと」が腑に落ちることはありませんでした。
 
 
 
7年ほど前に入った小用先生のお稽古は、
 
探求のためというよりは
 
「そろそろ身体を鍛錬しておかなければという年齢になった」
 
という気軽な理由でしたが、
 
入ってみればけして(最も)気軽なものではなく、
 
いまだに一番最初に教えていただいた動き一つ
 
「出来た」
 
と思える事もなく、
 
ただただ末席に置いていただき通い続ける日々ですが、
 
お稽古に参加させていただくと、
 
確実に指針になると思っていた身体が実は実に曖昧なものであり、
 
それを確実なものにしていくのは至難の技である事を日々感じます。
 
しかし、そこに肉体という物質と、
 
お相手してくださる先生や諸先輩がたからのフィードバックによって、
 
はじめて不確かな身体に基準が構築されています。
 
 
 
 
2013年に再会した沖縄の師匠からは、
 
「心」
 
について。
 
沖縄のシャーマニズムについても沖縄の言語についても何一つわかりません。
 
師匠も私に教えてくれるのは
 
「心」
 
のことだけです。
 
「心」
 
も実は曖昧なものなのです。
 
しかし、師匠はご自身の神様に向かう生き方あり方をお示しになることによって、
 
私にそれを教えてくださいます。
 
私はただ後ろ姿を見ているだけです。
 
 
 
 
二人の師匠それぞれ、
 
自分の身体、自分の心の状態をいかに整えるか。
 
ということをその佇まいによって教えてくださるのです。
 
 
 
 
曖昧で主観的なエネルギーの世界は
 
自らを整えることでしか確実な周波数を獲得していくことは
 
不可能ではないかと思っています。
 
周りにはよく話す事ですが、
 
私が周波数を変化させるのを
 
(普段から訓練のために色々な場面で周波数を変化させている)
 
一番的確に感知されたのは、
 
エネルギーや修行の世界にいる人ではなく 驚くことに小用先生です。
 
 
 
身体という神聖なる祭壇を整えること
 
心というつかみどころなく振り回される曖昧なものを整えること(YEメソッド)
 
なるべく広い視野からの俯瞰(知識、知性)
 
 
 
この3本の柱でエネルギーの学校は成り立っています。
 
 
 
 
具体的には、
 
文学書を読み込む
 
 (行間が読み取れない人に流動体のエネルギーが読み取れるはずもなく)
 
舞扇のお稽古
 
 (器の土台作りとエネルギー感知、ブループリントラインのために)
 
YEメソッドを軸にした内的な取り組み
 
 (自分の心の統制を取れない人が俯瞰できるはずもなく)
 
パスワークをして絵を描いたり
 
課題に対して仮説を立て実証していく取り組み
 
これが中心であり、
 
「そろそろ煮えて来たかな」
 
という頃にエネルギーワークをやってもらい、
 
「あっ出来ているね」
 
と確認を取るのです。
 
パラドクスのようですが、
 
内的な成長が進んでいるかどうかの確認のための
 
エネルギーワークでもあります。
 
 
 
 
「エネルギーの感知は、
 
内的な取り組みを続けていれば自ずと出来てくるもの」
 
という仮説が、
 
ここに来て、だんだんと立証されています。
 
おそらく一生ヒーリングを職業にしないであろう人たちでも、
 
(クラスの半数以上はそうかも)
 
それぞれの神経に確実にエネルギーの手を下ろし、
 
エネルギーを流し変化を起こす事ができます。
 
普通できません。
 
それを習得しようとしなくても、
 
神聖な器(祭壇)を整える作業をしていれば、
 
自ずとそこにエネルギーは流れ入ってくるのです。
 
 
 
 
エネルギーの学校は、
 
「本当のこと」を探求するための集団であり、
 
内的取り組みをすることにより、
 
様々な周波数を獲得可能であるという仮説を実証し続けている集団でもあります。
 
(これ以外に獲得不可能だと思っています)
 
 
 
 
最初に物質界でカタがつけば足を踏み入れることもない世界
 
と書きました。
 
私は効率を何よりも大切に生きてきたから曖昧なものは効率的とはいえません。
 
しかし、
 
「本当のこと」の探求をしているうちに、
 
「自分」
 
に著しい変化が生まれて来ました。
 
ですから、30歳以前の私を知っている人には今の私は別人でしょう。
 
40歳以前も50歳以前も同じように別人でしょう。
 
自分が作り上げた様々な枠組みや鎧からどんどん自由になるのです。
 
その分それに費やしていたエネルギーは他のことに使えるのですから、
 
実はこれが一番効率の良い生き方かもしれません。
 
また更に10年後に
 
「10年前の私とは別人」
 
と言っていたいものです。
 
 
本当のこと
 
 
 
 
山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載