エレメンタルの除去から見る 「ゼロ」の大切さ
5月11日(土)から「地に足をつけ直す」お稽古クラス月1回のレギュラークラスになります。
エレメンタルを除去し、
その絵を前にして見ると、あまりに力を持っていることに驚きます。
これは、クラスの中の実験によって
私だけが感じることではなく多くのメンバーも感じることがわかりました。
私のエレメンタルの総和は
サーカスか孔雀、はたまたカーニバルのようです。
日々、そのエレメンタルに対峙していると、
実に感慨深く自分の送ってきた人生の重みを感じます。
エーテル体の滞りや日々の感情の引っ掛かりから入って提示していったので、
基本ネガティブなエネルギーから始まっていますが、
例えそれがネガティブなことでもです。
そこには、ネガティブな部分を克服しようと努力して成した「一見ポジティブ」なことも含まれます。
そして、
もしかすると、これが「他者が見る自分像なのかもしれない」
と思うのです。
他者の目で自分を見てみると、気づくことがあります。
そこに「ゼロ」がないということです。
ネガティブかポジティブでゼロポイントが見当たりません。
これがエレメンタルの秘密ではないかと思うのです。
「ゼロ」ではエレメンタルは成せないのではないか?
だからこそ、
「本質」に向かう様々な教えは、
中庸
ゼロポイント
無
空
を大切にするのかもしれません。
エレメンタルが存在する限り、
「本質」
は曇り、声が届くことはないからです。
山本ユキブログ「イシスの息吹」より転載